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復元サンファンバウティスタ号への思い

当時の姿で復元へ

380年の時を越え、1991年 宮城県の地域活性化事業「文化の波・文化の風お越し」事業の一環として、宮城県石巻市でこの船の復元が開始されます。

これは当時の手法で、すべて木造による再現を目指したものであり、木造船大工の技術者が少なく、建造時と同様に大変な困難を極めましたが、石巻市の村上定一朗(当時83歳)大棟梁を中心に全国から集合した1000人以上もの船大工が文字通り決死の執念で作り上げました。

そしてそれは現時点ではもはや再現不可能な遺産となり、30間年に渡り石巻市、そして宮城県の誇りとして、宮城県慶長使節船ミュージアム サン・ファン館にて、その偉容を誇り続けました。

東日本大震災での被災~宮城県の解体決定まで

復元船建造よりちょうど20年を経過した2011年3月11日、あの東日本大震災の大津波が石巻市を襲いました。

サン・ファン・バウティスタ号も大被害を受け、船は2年ほど被災した姿で放置されました。

 

しかし、まさに世界中からの厚意により、船は2013年にその姿を再生し、まだ被災に苦しむ石巻市民を大いに勇気づけたのです。

しかしながら木材という素材の経年劣化で、船は2016年に立ち入り禁止となり、今後の維持管理費の高騰という理由で2018年に宮城県により現在の原寸大の木造船は解体の決定が下されました。

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