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<地域発展への船出>サン・ファン号 保存断念までの経緯

仙台藩主伊達政宗は今から約400年前、外国との貿易を実現するため、スペインおよびローマへ「慶長遣欧使節団」を派遣しました。


ガレオン船「サン・ファン・バウティスタ号」は使節団を乗せて、石巻市の月浦を出帆。地域発展のため、ヨーロッパを目指す大航海に挑みました。


石巻市渡波の宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)に係留、展示されている復元船「サン・ファン・バウティスタ号」は月浦出帆から380年にあたる1993年に進水しました。建造費15億円のうち5億円は宮城県民からの募金で建造。石巻市民をはじめ、石巻圏域の人々は地域発展のため、よみがえった木造船の船出を大歓迎しました。


石巻日日新聞 1993年5月22日

2011年3月11日、復元船は東日本大震災の大津波による流出は免れましたが、その翌月の強風によりマストを折損。2013年10月、カナダの人々の支援によってマストは修復されました。


2015年の現況調査結果で復元船は構造体(助骨)の腐朽がかなり進んでいることが判明。当時であと5年は持たないとの見通しとなり、2016年3月から見学者の乗船及びドック棟への立ち入り禁止措置が行われました。


2017年、同館を管理する公益財団法人慶長使節船協会が設置した検討委員会の提言を踏まえて宮城県は「修復を諦め保存していくことを断念する方針」を決定。展示は東京五輪・パラリンピックが開催される2020年までとする方針を示しました。


私たち「サン・ファン・バウティスタ号を保存する会」は、復元船の修復を断念した宮城県の方針決定に疑問を抱いたことを、きっかけに、保存にむけた活動をはじめました。


先人たちの偉業とともに、東日本大震災を乗り越えた原寸大の木造船だからこそ伝わる「歴史的価値」を後世へ残していくため、皆さんの署名の協力をお願いします。






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